2018/12/03

カナダの東海岸、ノバスコシア州のハリファックスで暮らすニック・バーチルさん。
17年前にカナダのBC.ビクトリアにある「フェアモント・エンプレス・ホテル」でとんでもない粗相をしでかし、ホテルから永久宿泊禁止を言い渡されたのですが、18年目にして当時の事情を説明して謝罪し、宿泊禁止を解いてもらえるように請願の手紙を送ったそうです。
結果、多くの人に同情され、笑いを誘うことになった手紙の内容がコチラ↓
親愛なるエンプレスホテル様へ
これは奇妙な要求と思われるかもしれませんが、私は今日あなたにお許しをいただきたく、手紙を書いています。
私は17年前に起こった不運な出来事が原因で、あなたのホテルから永久に宿泊禁止となりました。私はその事件についてのあらましを説明したいと思います……
2001年、私は現在の雇用主である****社に入社したばかりでした。その時はカナダの海軍予備員でもありました。****社はエンプレスホテルでカスタマー・カンファレンスを行っており、それは入社後初の企業イベントでもありました。
海軍の友人らに出張で西へ行くと話したら、地元の特産品である「ブラザーズ・ペパロニ」をお土産に頼まれました。友人全員に行きわたるだけの量を買い込み、急いでスーツケースに詰め込みました。いくつかはビニール袋や茶色い紙袋に包んでもらい、とにかく店で売ってもらえる限りすべて購入しました。
スーツケースは航空会社の手違いで翌日に届きました。ペパロニが常温だったので安全のために少し涼しい場所に保管することにしました。
4階の私の部屋は広くてすばらしく、正面を向いていました。とても設備の整った部屋でしたが冷蔵庫はありませんでした。4月だったので空気はまだ冷たく、食品を冷やすには窓のそばが最適だと考えました。
窓のサッシを持ち上げて、ペパロニのパッケージをテーブルの上や窓枠の下に広げ始めました。そうして私は散歩に出かけたのです。それも4~5時間ほど。
たっぷり散歩を堪能したところでホテルに帰ってきました。ホテルの長い廊下を歩いて自分の部屋を開けたら、部屋がカモメでいっぱいだったのをよく覚えています。
数える暇はありませんでしたが、40羽以上は居たでしょうか、私のペパロニをひたすら食べていました。
ペパロニはカモメに下痢を引き起こすようで予測できる通り、部屋は糞だらけでした。そのとき知ったのは、カモメはヨダレも垂らすことで、特にペパロニを食べたときはそうなるようでした。
どんな状態かを想像していただけると思います。部屋に入って鳥たちを驚かせると一斉に飛び回り、あちこちにぶつかり、少ししか開いていない窓から出ようと必死でした。
パニックになったカモメたちは閉じてある別の窓からも出ようとしました。その結果、部屋の中はカモメの糞、羽毛、ペパロニの塊、そして部屋の周りを揺らすかなり大きな鳥の竜巻が発生しました。ランプは落ち、カーテンは台無し、コーヒートレイも見るに堪えないありさまでした。
私は鳥の中をかいくぐり、もうひとつの窓をようやく開けることができました。ほとんどのカモメはすぐに出ていきました。
ところが1羽がペパロニをもう一度食べるために再突入してきました。動揺した私は靴を片方脱ぎ、そのカモメに投げつけました。カモメと靴の両方が窓の外にすっ飛んでいきました。
そのとき部屋には1羽のカモメが残っているだけでした。しかしそれはとても大きなカモメで、部屋から出ようとしなかったのです。追いかけると口に大きなペパロニをくわえたまま部屋中を逃げ回りました。
私はバスタオルを片手に飛び掛かりました。パニックを起こしたカモメをタオルに包んで窓から投げました。タオルに包まれていたら飛べないことを、そのときはすっかり忘れていました。
これらはかなり短い間に起きたことで、午後の中ごろでした。エンプレスホテルでは非常に有名で人気のある、お茶と夕食を兼ねた「ハイティー」を主催しています。これを目的にやってくる大勢の観光客グループが、私の靴とタオルに包まれたカモメが落ちてくるのを目撃したことでしょう。そしてタオルに縛られたカモメ・・・(カモメは傷ついていませんでした)。
ここで部屋の問題に戻ります。部屋は最悪でした。たくさんの破損がありました。
私はまだ新入社員で、この重要なイベントで高い評価を得たいと考えていました。先にイベントに集中して、部屋のことは後で処理しようと思いました。もう大事な夕食まで数分しかなく、靴も片方しかないことに気づきました。
靴とタオルが濡れた土の上にあるのを見つけましたが靴は汚れていました。窓を閉めていたことから部屋の室温が上がり、消化されたペパロニと魚のにおいが充満していました。
洗面所で靴から泥を洗い流しました。きれいになりましたが、靴の1つは濡れて濃い色に、もう一つは乾いていて薄い色でした。今から考えると、乾いているほうを濡らすべきだったと思います。でもその代わりに自分は濡れてる靴をヘアドライヤーで乾かすことを選択しました。靴は順調に乾いて行きました。
そこで電話が鳴りました。電話を取るために隣の部屋まで行きました。するとそこで停電したのです。原因はドライヤーが振動で靴から離れて、水でいっぱいのシンクに落ち、(ショートして)完全に沈黙したことです。私はホテルにどれくらいの停電をさせたのかわかりません。この時点でもう助けが必要だと思いました。
フロントに電話して、荒れ果てた部屋を掃除するヘルプが欲しいと頼みました。ヘルプの女性が部屋を開けたときの表情を今でもよく覚えています。彼女に何と説明していいのかさえわからず、単に「すみません」と言いました。
部屋に戻ると自分の所持品は全て小さな部屋に移されていました。
これが話の全てですが、そのあと****社宛に、私をホテルから永久に禁止するとの手紙が届きました。その禁止を私は18年敬意を払って従ってきました。
私は今は成熟し、自分のした行動に対する責任を認めます。間接的に被害を受けたことを謝罪しますので、なんとか私の生涯禁止処分を再考していただけないかとお願いする次第でございます。
ぜひ、ホテルからお許しをいただけるか、あるいはこの18年ほどエンプレスから遠ざかっていたことで、「刑期を終えた」と思っていただければ幸いです。
ご検討くださいます様、よろしくお願い申し上げます。
敬具
ニック・バーチル
この後、エンプレススタッフとの赦免申請を見直した後。マネージャーはバーチルさんが再びゲストとして歓迎されることを口頭で通知しました。
バーチルさん曰く、「同じペパロニをホテルにお土産として持って行くと伝えたことが、功を奏したに違いない」と考えているのだとか(笑)
参照元:boredpanda.com